テレビ番組や世間の「性」表現を考える
まだ最近のニュースですが、自身の女性器の3Dデータをネットで頒布したとして、芸術家のろくでなし子さんが逮捕されたり、愛知県美術館の写真展では、警察が男性の陰部などを写した鷹野隆大さんの作品の撤去を要請したようなことが事件となっています。
これって、事件になるべきもの?
テレビでも「性」に対する表現はかなり上品なところでしか放送されていませんが、私の小さいころはテレビに出ている女優のおっぱいがポロリとか、「おっ!」と思いつつ、でも家族チャンネルで皆で笑って終わってたなんか良き時代でした。
ところが、1990年を過ぎたころからなんとなく、性的な表現は制限される一方でなんだか余計に敏感に反応してしまうような気がしてきました。
そもそも人間なんですから「性」というのはつきもので、生活の中でも自然となじみがあるものだろうと思います。
さかのぼること江戸時代、日本の大衆文化であるおふろは男女混浴も当たり前だったそうです。
それが、開国とともに、外人にびっくりされ、馬鹿にされないようにするために、西洋式の「性」文化を取り入れていった結果、今の世間になったということです。
そういうことを考えてみると、今の世の中「性」に対しての表現が制限され、結果、事件性のことも増えてしまっているのでは、と感じました。
表現したいことを表現する、でもそれが人に危害を加えるような事態に発生するならばそれは事件として捉えるべきかと考えました。
適正な「性」なんて存在は無く、やっぱり人間も動物です。
ただ、理性があるのでそれはセーブできるのです。
性欲がなくちゃ、人間世界終わりですし、それが適正の教育になれば性犯罪なんかも減るかもしれません。
今一度「性」の在り方について考えていきたいと思います。
あ、そういえば、今日は小学校の参観日が「性教育」についてでした。
小学校1年生ですよ。早いなぁ。
でもこういう教育っていうのはどんどんやれればいいんじゃないかと思います。
最終的にまともに育ってくれれば。
隣でうちの子はいつも仲良しの女の子と宿題をしたり、この前は「夫婦ごっこ」をしていました。笑