「上から幸太郎」スーパー1年生の清宮幸太郎
上からなにか降ってくるのか!?
そんなことはありません。
今話題になっている高校球児がいるのです。
早実のスーパー1年生・清宮幸太郎一塁手が、西東京大会4回戦の府中西戦で先制打を含む2二塁打3打点の大暴れしました。
心に決めたのは「上から目線」です。「勝手に自分で力を入れて本気でいってしまった。相手投手より自分が上と考えて、どんな球でも来いと思った」。その言葉通り、相手エースをノックアウトしました。
チームを16強に導いた前日(18日)の夏デビュー戦(東大和南戦)はポテン安打1本のみでした。怪物らしからぬ硬さも見られたが、「相手よりも自分の方が上と思って」という気合で、3年生エースを粉砕しました。
「上から目線の幸太郎」でもそのくらいの気持ちが大事なのです。
そんな話題の清宮に、一目その姿を見ようと球場には前日を500人上回る4000人が詰めかけました。それだけではなく、バットに込めた思いは並々ならぬものがある。早実は甲子園第1回大会に出場したレジェンド校でもあります。数々の名選手を輩出したが、清宮は自分もその一人になるべく特別な思いがあるようです。
「高校時代は王さん、荒木さん、斎藤さん…みんなピッチャーでした」。新たなスター候補はスラッガーとしてのプライドを持つ。大会前、こう明かした。「『早実でバッター』というのはいない。そこで自分は先輩たちとは違う注目をされたい」
あとはホームランを量産していくことです。
全国大会に姿を見せれば話題の一人になることは間違いなさそうです。
石川真佑、将来の日本代表を目指せ!
プールに行くはずが、長野県中学校バレーボール県大会の応援席に座っていました。
誘われてちらっと見に行ったのですが、その姿を見るなりバレーボールをやっていた私の血が騒ぎだしました。
女子バレーが熱かったのですが、やはり注目は裾花中学校。
ここには数名の注目選手がいるのです。
その中でも目に付いたのが、石川真佑選手。
彼女が誰だか知っていますか?
今や全日本で活躍するまでになった男子バレー、石川祐希選手の妹さんなのです。
まさか偶然といっても生で見られるとは思ってなかったので少し感激です。
前評判は聞いていましたが、石川真佑さん、身長は172㎝まで伸び、垂直跳びは60㎝以上といいますからかなりのものです。
そして、その体格、大人の選手にも引けを取らないしっかりとした体格をしていました。しかも足が長い!素晴らしいプロポーションも今後注目の的です。
試合は。。。
石川選手の裾花中学校が見事優勝でした。
試合は危なげなく、石川真佑選手のスパイクはほかの選手に比べても卓越していました。
3枚ブロックがあっても、相手のブロックを巻き込む技術や、ブロックの隙間をうまく突いたスパイクは圧巻でした。
この技術、やはり只者ではないと思っていましたが、元日本代表の大山加奈さんが推薦するほどの素質を持ち合わせているのです。東京オリンピックでは日本代表の中心選手として活躍する可能性がとても高いといえるでしょう。
ご家族は、バレー界では知る人ぞ知るお兄さんの石川佑希さんをはじめ、お姉さんと両親の5人家族とのことです。
そして、全員運動神経抜群のスポーツ一家なんだそうです。
父親は実業団の元陸上選手で、母親が実業団の元バスケ選手ということで、抜群の運動神経やスポーツマンとしてのメンタルを持っているということです。
次回は8月5,6日に福井県美浜町、おおい町で開催される北信越大会に出場です。
将来の日本のバレーボール界を背負う一人として是非活躍を期待です。
渡邊剛について - 古流柔術 渡邊剛
「もういいです」という暇さえなかった。
巌流島の武道バトルが行われましたが、古流柔術の渡邉剛選手(60)は試合前、「相手に、もういいです」と言わせたいと意欲をうかがわせていました。
ところが試合が始まってみると、1R、しゃがみこむように体勢を低くした中島へ渡邉がパンチを放つ。これを空振りさせた中島はパンチを繰り出し、左フックがクリーンヒットして渡邉が倒れたところでレフェリーストップとなったのです。
これには渡邉は「もういいです」と、いう暇もなかったわけです。
大円和流・合気柔術師範の渡邉は、40歳からある高名な武術家に古流柔術を習い、修行を積んで合気の極意を身につけたという合気武術化。60歳にして実戦で戦うのは今回が初めてでした。この歳ですからさすがに伝説といわれていても勝つのは無理な話でしょう。亀仙人の見すぎでしょうか!?世間は期待していました。
対する中島は『巌流島・道場マッチ』に出場してTKO勝ちした、体重80kgの29歳で相撲がバックボーン。試合前、中島は「対戦相手は達人ということですが、全然信じていない。達人なんていないところを証明したい。思いっきり殴りにいきます」と宣言していました。
試合後、渡邊は「負けましたが楽しかった。悔いなしです」と清々しい表情。そして、「私で全てを評価しないで欲しい。私はまだ未熟者。(武術界に)素晴らしい人はいます。私がもっと勉強しないといけないということです」とコメントしていました。
そもそも古流柔術は攻撃的な武道ではないようです。合気道寄りの武術で、身を守るというほうが妥当でしょう。そんな武術を持ち出して試合をさせてもあまり意味がないかもしれませんね。
巌流島の主催者が単に視聴率を取るだけの話題作りに使ったのかもしれません。
ですから渡邊剛氏は胸を張って引き続き師範で頑張っていただきたいのです。
小林可夢偉、現在の闇
F1レーサー小林可夢偉に追い打ちをかけた。
話題はF1というよりは芸能人との交際の話題で一時期は持ちきりでした。
あびると破局だのRioとの浮気を否定したり、さんざんな日々を送っていた小林ですが、ライバルであるフランスのビアンキ選手が事故で亡くなったことに衝撃を隠せない様子でした。
可夢偉は「去年まで一緒に戦っていたジュール・ビアンキ選手が本日のフランス時間2:45分頃に亡くなりました。2014年の日本グランプリでのクラッシュ以降ずっと闘ってきた彼を称えます。そして心からご冥福をお祈りします。R.I.P」とショックを隠せない様子。
F1のレース中の事故でドライバーが死亡したのは、1994年サンマリノGPのアイルトン・セナ(ブラジル)以来の参事です。
マルシャ・フェラーリに所属していたビアンキ選手はレース終盤、他の選手の事故車を撤去しようとした作業車に突っ込み、クラッシュ。三重県内の病院から仏ニースの病院に移り、闘病していた。2013年の開幕戦でデビューし、14年5月のモナコGPで記録した9位が最高成績でした。
事故をしたのが日本と言うことで、小林のショックはさらに大きなものになったことに違いないでしょう。しばらくは現在の闇の中をさまようことになるのか、早い復活が待たれます。
太田雄貴が快挙、4億円の代償
フェンシング界といえば、この人物しか思い浮かばない。
フェンシングの世界選手権は16日、モスクワで行われ、2008年北京五輪銀メダリストの太田雄貴(森永製菓)が男子フルーレ個人で初の金メダルを獲得しました。
日本選手が五輪を含めて世界大会で優勝したのは初めての快挙です。
太田は準々決勝で、12年ロンドン五輪金メダルの雷声(中国)に勝ってメダル獲得を決め、準決勝でゲレク・マインハート(米国)を15―9で、決勝ではアレクサンダー・マシアラス(同)を15―10で破りました。
太田は団体で銀メダルを獲得したロンドン五輪後に休養し、一昨年に復帰し、仁川アジア大会の団体で、日本に40年ぶりの金メダルをもたらしたのです。
快挙を遂げた太田選手 出典:http://www.oricon.co.jp/
ところで日本のフェンシング界の実態はご存知でしょうか?
日本のフェンシングが注目され始めたのは、2008年北京五輪で男子フルーレの太田雄貴選手が銀メダルを取ったころからです。協会は余勢を駆って、エペ、サーブルでも本場欧州からコーチを招き、押しなべて強化する勝負に出たのです。このころの協会予算は4億円程度、それに対して11、12年度に組まれた強化費は計約1億8千万円。厳しい財政事情の中でも「(メダルを取って)認知度を上げることに力を入れた」と山本正秀常務理事はいっています。強化選手が東京都内で長期合宿に入った11年1月に、協会が不足額として上げた数字が約6千万円ありました。ロンドン五輪の男子団体銀という見返りは得たが、失ったものも大きいのです。
予算4億円というと莫大な金額のように感じますが、力のない競技こそ、いろいろな人を招へいしたり、選手を強化していかなければなりません。その中でこの予算は決して多くはないのです。しかし、結果的に限られた予算でも金メダルへとつながったことはフェンシング協会首脳陣の手腕がただものではないことがわかります。
太田選手を中心として、第二、第三の世界に通用する選手が出てくれることを期待します。
伊藤達哉選手が移籍、で、どの伊藤達哉が!?
サッカー界にとっては快挙ですが、日本にとってはまた一人有能な選手が日本から去ってしまうと思うとなんだか悲しいです。
柏U-18に所属するFW伊藤達哉(18)が、ブンデスリーガのハンブルガーSVに加入することが決まりました。
そんなニュースをしり目に伊藤達哉という名前は実にポピュラーなんだと思ってしまいました。
サッカー選手以外には、ギタリスト、バスケ、ジャニーズ、伊勢丹の店長、スキー選手までいます。そんなわけで、サッカーの伊藤達哉を知らない人にとっては、ほかの伊藤達哉を連想してしまったかもしれません。
このため、えーあの伊藤達哉が海外に移籍!?
もしかしてスキーかもしれないし、バスケでもありうる話です。ギタリストだって海外の音楽事務所に移籍してしまえば無きにしも非ず。
そんなどうでもいいことを考えながらこの名前のポピュラー性に感心してしまいました。
それはさておき、サッカーの伊藤選手は、高校3年ですがすでに渡独しており、15-16年シーズン開幕からハンブルガーSVの一員としてプレーするそうです。
伊藤は14年の「アルアイン・インターナショナル・ジュニア・チャンピオンシップ」で柏U-18が準優勝した際、大会MVPに選ばれ、ハンブルガーSV戦でも活躍したことで、同クラブの目に止まったということです。
やはりいざというときにアピールできると違うのです。
伊藤は柏を通じ「柏レイソルにはサッカー面でも人間面でもご指導いただき、本当に感謝しています。ドイツに行って活躍することが柏レイソルへの恩返しになると思っています。ドイツで必死に頑張って活躍するので、これからも応援よろしくお願いします」とコメントしていました。
将来は日本代表として戻ってきてほしいと思います。
股下106cmの宮部藍梨、高校生ながら鮮烈デビュー
バレーボール女子・ワールドグランプリさいたま大会第1日(10日、さいたま市記念総合体育館)世界ランク4位の日本は、同5位のイタリアに2-3で敗れて2勝2敗となりました。
注目すべき点は試合に敗れたことではなく、未来を担う若手選手が存在感を現したことです。
成長がとても楽しみな宮部選手 出典:http://www.kobe-np.co.jp/
16歳の宮部藍梨(大阪・金蘭会高)が日本代表デビューを果たし、総得点もチーム2位の18と活躍したのです。26点を挙げた19歳の古賀紗理那(NEC)とともに若い力が日本を引っ張りました。
彼女が評価に値するのは自分たちのチームだけではなく、敵であるイタリアのボニッタ監督が「彼女は試合を変えたと思う」と、16歳の高校生を高く評価した点です。
宮部藍梨は大阪金蘭会高校に通う16歳、父親はナイジェリア人というハーフも手伝って、その身体能力はけた外れのものを持っています。スタイルは身長182㎝、股下は106㎝というモデル顔負けのスタイルでコートに入ればそれだけでもひときわ目立つ存在です。
試合のほうですが、第1セットを落とした日本は、「いつでも代えるつもりだった」という真鍋監督が、第2セットから宮部を送り出しました。「緊張したけど、先輩たちが声をかけてくれてやりやすかった」と宮部選手。5-10で強打を決めて記念の全日本初得点を挙げると、周囲も徐々に本来の多彩な攻撃を展開しました。22-23では宮部が相手エースの強打を1枚ブロックで鮮やかに止め、セット奪取につなげました。
敗れたものの、スパイク17、ブロック1の計18得点と鮮烈な代表デビュー。それでも「まだまだ通用しない。できていないところを改善したい」と宮部選手は反省の色。真鍋監督は「これまでの日本選手とは違う(相手)ブロックのはじき方をした」と、高い評価を与えていました。
16歳というまだまだ発展途上の宮部選手、オリンピックのころには日本の女子バレー界を引っ張っているかもしれません。