アナログ24時

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一場靖弘、現在の生き方がたくましい

かつてはドラフトの筆頭候補として日本中の注目を集めた男。

それが一場靖弘なのです。

プロ入り後は日本シリーズで優勝を果たした東北楽天時代。05年の創設時の弱小ぶりを思うと感慨深いものがあったのですが、その創設時の楽天投手陣の一翼を担ったのが一場靖弘さん(32)でもあったのです。入団前に巨人などから裏金を受け取っていたことが発覚し、大騒動になりましたが、それだけ世間に注目されていたのです。

しかし、その後は移籍、結果も残せず2012年戦力外としてプロ選手を辞めざるを得なくなりました。

しかし、彼に残ったのは家族という大きな宝です。

プロ野球がダメでもそれで人生終わりではありませんでした。

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一場さんは、JR水戸駅からクルマで10分の通信機器販売会社「パーソナル電電」にいました。

楽天時代に先輩やコーチとしてお世話になった紀藤(真琴)さんに声をかけていただき、営業をしてます。事務用の電話機とかコピー機、防犯カメラとかの商材を建築屋さん、美容室、介護施設とかに提案するのが仕事。お客さんには野球好きの方も多く、話がしやすいですね」

 今でこそ、すっかりサラリーマン生活が馴染んでいるのですが、ヤクルトから戦力外通告を受けたあとは何をしていたのでしょうか。

プロ野球引退後は、東京の東久留米にある、お店の看板全般を作る会社で看板のデザインをしました。もちろん、すぐにデザインができるわけはなく、デザインに必要なパソコンのイラストレーターとかフォトショップの使い方を教えてもらい、だんだんできるようになったということです。

お客さんと接点を持つ厳しい仕事の方が自分の今後に役立つと思ったのと、今の会社は基本給プラス歩合制なのでよりやりがいがあると判断したということです。

 

一場を振り返る中で一番輝いていた時期はいつだったのだろうか?

一場は桐生第一高校2年の時、夏の甲子園に2番手ピッチャーで出場して優勝したものの、3年時は初戦敗退。明治大学に進学し、4年の時、戦後最多のシーズン107奪三振完全試合を達成するなど大活躍しました。当然、ドラフトの目玉と注目されたが、「栄養費」「タクシー代」「食事代」などの名目で巨人から200万円、横浜から60万円、阪神から25万円を受け取っていたことが発覚。巨人の渡辺恒雄オーナー(当時)らが辞任する騒動に発展。自身も入団した楽天では4年間で通算15勝と不本意な成績に終わりました。

この高校からプロ選手になるまでが人生で一番輝いていた時期ではないでしょうか。

それがわかるのは彼の話題が世間のお茶の間にたびたび出てきていたからです。

ある意味スターのような状況だったのではないかと思います。

同時に金銭スキャンダルで悪者になったのが運のつき、その後はプロ野球でも成績が残せていませんでした。

昔を振り返り反省する日々が続く一場。

これからの人生はどう生き抜いていくのでしょうか。