アナログ24時

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花岡事件の真実に迫る

花岡事件とは太平洋戦争中の1942年、労働力不足解消のために中国人の強制連行を閣議決定したことで、秋田県の花岡鉱山に986人が連行された事件です。工事現場での過酷な労働や飢え、虐待などに耐えかねた中国人労働者が45年6月30日に一斉蜂起し、警察や憲兵隊などに鎮圧されました。同鉱山では拷問や虐待などにより終戦までに400人以上が死亡。生存者と遺族計11人が鹿島(旧鹿島組)を相手に損害賠償を求めて提訴し、東京高裁で2000年11月、鹿島が11人を含む986人全員の一括解決を図るために5億円の基金を設立することで和解が成立しました。

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かつてここでどういう強制労働がなされていたのか・・・

 

ところが、「終戦から70年がたつのにいまだに謝罪されていない。日本政府は歴史について反省すべきだ」という強制労働させられたという中国人が今頃になって訴えを起こしたのです。第二次大戦中、日本に強制連行された中国人らが1945年6月、秋田県の花岡鉱山で蜂起した「花岡事件」などに絡み、元労働者2人と遺族11人が26日、国に計7150万円の損害賠償と謝罪を求めて大阪地裁に提訴しました。原告らは「中国人を拉致、連行し、強制労働に従事させた。戦後もそのことを隠蔽(いんぺい)し、被害回復措置をとらずに放置した」と主張している。花岡事件で中国人被害者らが国を相手に訴訟を起こすのは初めてということです。

 原告らは、強制連行は国の決定に基づいて軍などが実行し、花岡鉱山では劣悪な状況で重労働を強いられたのに国は被害を防ぐ義務を怠ったと主張しています。花岡事件はこうした背景によって起きたのに憲兵隊などが中国人に拷問や弾圧を加えたと訴えています。終戦後も国は謝罪せず、中国人が自ら進んで日本で働いたと思わせるため関係資料を焼却したことなどから、被害者らは名誉を侵害され続け、中国で「裏切り者」扱いされて生活に困窮したと主張しているのです。

 ただし、中国人の強制連行に関して最高裁は2007年、「日中共同声明により中国国民は裁判で賠償請求できなくなった」との判決を出しています。原告らは「個人の権利を著しく不合理に制限する判断で誤り」と判断の変更を求めており、今後どうなるか泥沼化していくかもしれません。

 

 しかし、同時に今頃になってこういうことを穿り返してくるのが中国人の手口なのか。この背後には何かあるのではないかと考察しました。また、鹿島建設がすでに5億円を拠出しており、日本側は一応の対処をしてきたと考えられますが、問題はお金を受け取った中国側の処理の仕方がひっかかります。

 今回訴えを起こした人たちはそのお金が回ってきていなかったことが考えられ、この事件と言うよりは5億円の行方を追うことで真相が明らかになるのではないかと考えます。