アナログ24時

気になったことを記事にしています。アナログスピードな人間ですが・・・

阿川弘之氏の近況が明らかに

日本を代表する人物がまた一人逝ってしまいました。

小説「雲の墓標」や評伝「山本五十六」など数々の戦争文学で知られる作家で、文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏が死去していたことが分かりました。94歳でした。

f:id:moromi2015:20150805205141j:plain

出典:http://home.r07.itscom.net/miyazaki/bunya/

 阿川弘之氏の近年は2011年に引退宣言後も精力的に作家活動を続け、『汽車に乗って船に乗って 阿川弘之自選紀行集』『森の宿』『鮨 そのほか』などを執筆しています。引退当時はダメだと思っていたのかもしれませんが、それ以後も書こうという意欲が続いた近況が明らかになったとも取れます。

 阿川氏は大正9年、広島市生まれ。昭和17年、東大国文科を卒業後、海軍予備学生に。海軍中尉として中国に渡りました。21年に復員し、尊敬する作家の志賀直哉を紹介され、文筆の道に進みます。27年、戦時下の日々を自伝風に書いた長編「春の城」で読売文学賞を受賞。同時期にデビューした吉行淳之介さんらとともに「第三の新人」と称された。以後、「雲の墓標」「暗い波(は)濤(とう)」「軍艦長門の生涯」といったリアリティーあふれる戦争小説を発表し続け、作家としての地位を固めていきました。

 しかし、そんな作家として成功していった陰には彼の交友関係が関係しているともいえます。あの志賀直哉について学び、数々のベストセラーを世に出していったのはあまりにも有名な事実といってもよいでしょう。

 また、中国とも縁があったようで、学校で学んだわずかな中国語が目に付き、軍隊では対中国の諜報部隊に配属されるなど、当時から貴重な体験をしてきたのです。

 こういった経験がその後の作家活動の表現をより深みのあるものに変えていったのかもしれません。

 「米内光政」など海軍軍人を題材にした重厚な評伝を著す一方、紀行文や私小説的な短編小説も多数発表。35年に産経児童出版文化賞を受けた「なかよし特急」など、児童書も手がけた。他の主な作品に「井上成美」「志賀直哉」があります。平成11年、文化勲章受章。日本芸術院会員。本紙「正論」執筆メンバーとしても活躍した。法学者の阿川尚之さんは長男、エッセイストの阿川佐和子さんは長女という子供たちもきちんと父親の才能を受け継いでいるのです。

 もともと阿川家の血筋は山口県の出。

 山口県といえば総理大臣を多数輩出したところとして有名(現職の安倍さんも山口県出身)ですが、世に出ていくという気質がもともとの風土とも関連しているのかもしれません。

 ご冥福をお祈りしたいと思います。