アナログ24時

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杉山一衛さんが残した「クラウン精神」とは 奇跡アンビリバボー

どこにでもある普通の生活。

そしてここには、道化師として活躍している一人の女性がいます。

道化師とは?オランダでは「クリニクラウン」というピエロがいまして、みんなを笑わせてくれる、そんな存在が道化師(クラウン)なのです。

その女性は望月美由紀さん。

彼女のこの職業はある人の想いが乗り移ったともいえる天性のものであるに違いありません。

 

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道化師(クラウン)の望月美由紀さん www.pref.yamanashi.jpより

 

望月さんは幼い頃から周りを楽しませるのが大好きなのとは反面、実は根っからネガティブな性格でしゃべるのも苦手でした。それでもって人前ではついついいい顔をしてしまう、毎日、見えないよろいをまとって人に接しているようなものだったのです。

 それでも22歳で道化師のプロを目指して上京したものの、2年たった頃、慢性的な頭痛に悩まされるようになり、引きこもりになりました。常に何もしたくない「生きていても周りの迷惑になるだけ」と更にネガティブになる日々、それがうつ病の始まりでした。
 その後、カウンセリングや自問自答を重ねるうち、原因は自分の生い立ちにあると気付きました。厳しい父のしつけにややんちゃな妹を前に、姉として常にきちんとしなければならなかったのです。そして周りの人たちには良い顔をする、知らず知らずのうちに「いい子」を演じてきのです。
 このうつ病の引き金は、同居女性への不満を発散できなかったようですが、本当の原因は、自分自身にあったことに気づきました。そしてそれに気づいたことでうつをようやく克服できたのです。
 

 そんなさなか将来夫となる杉山一衛さんと出会うのですが、第一印象は決して良いものではなかったそうです。もちろんうつ病の関係があったのでしょう。しかし杉山さんもまた周りを喜ばせる道化師(クラウン)として日々活動していたのです。次第に二人は惹かれあい付き合うようになるのですが、わずか半年で別れてしまいました。


それからしばらくして、うつ病克服の様子をブログに掲載したことがきっかけで、杉山さんから連絡が来たのです。それをきっかけに2人は再会を果たし、1年後、望月さんが34歳の時に二人は結婚しました。

 彼にはもともと持病がありましたが、元気に日常生活を送っていました。ところが彼は結婚式の直前から原因不明の高熱に見舞われ、挙式の10日後、意識を失って入院したのです。それは成人スティル病という原因不明の病気で持病だった腎不全を悪化させる原因にもなったのです。

 入院して10日たち、意識が回復してきた彼は一時は意識を失う数日前からの記憶すら忘れてしまうほどでした。しかし美由紀さんはあきらめず「笑うと免疫力が上がるらしいから、笑ってごらん」と励まし続けましたが、本人は笑えませんでした。
 でもそれならこちらが笑顔でいれば、杉山も笑ってくれるかもしれないと考え普段クラウンとしてやっていることを、看病で実践したのです。
 そのうち彼は笑顔を見せるだけでなく、冗談を口にして家族や看護師さんを笑わせるまでになりましたが、入院から40日後の2011年4月1日、残念ながら杉山さんは意識のないまま息を引き取りました。穏やかで、笑っているようにも見える死に顔でした。

 杉山さんの死後、美由紀さんは一つのプレゼントを受け取りました。

 それはダイヤの指輪だったのです。杉山さんもまたクラウンとしてその精神を最後まで忘れていなかったのです。
 その後、クラウンの仕事と並行して「作り笑いアドバイザー」として、意識的に笑顔を作る大切さを訴え始めたのです。
 

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杉山さんとの日々を記した著書「泣き虫、ピエロの結婚式」を手に 出典:静岡新聞SBS


 心から楽しくないと、心から笑えない。だけど形から入ることはできる。楽しくない時、つらい時に笑うのが「作り笑い」です。ただ、良い作用をもたらすには、それなりに顔の筋肉を使って笑顔を作る必要があると考える望月さん。
 杉山さんと過ごした日々があるからこそ笑いについてさらに追及できるようになったと言っても過言ではないと思います。そしてクラウンとして活躍する望月さんの姿はまるで杉山さんが乗り移ったかのようにも見えます。

 つらい人生の中に生まれてきた「笑い」へのこだわり。

 それをポジティブに歩き続ける望月さんは同じような境遇を持つ人たちの希望となることでしょう。