マスコミも知らない御嶽山噴火の裏事情
御嶽山噴火からもうどれくらいたったでしょうか?
もうすぐ雪解けで6月ぐらいからは再び捜索活動が再開できるのではないかと思います。
あの大参事に世の中は凍りつくような恐ろしさと、犠牲になられた方々のことを考えると二度とこんな目には遭ってほしくないと祈るばかりです。
そしてこのたび、噴火時にふもとの町として活躍した場所、木曽福島を音連れる機会に恵まれました。ところがここでとんでもないことを耳にしたのです。
勿論私は観光で参ったわけですが、現地の人々と話をするとやっぱり御嶽山の話題になるわけです。
今でこそいつもの観光地として静かな町となりましたが、噴火が起きたあの日は全くそうではなかったそうです。
9月27日午前11時52分、御嶽山が突然噴火したのです。
当時私は家の庭でバーベキュー中、御嶽山なんか遠くかなたのことであり、そんなことになっているとは思いもしなかったのですが、あの日はヘリコプターが頻繁に行き来して漠然とその姿を眺めていたことを思い出します。
数時間後、木曽福島の町は都心から殺到した人たちで埋め尽くされます。
誰かって?
マスコミですよ、マ・ス・コ・ミ。
テレビの中ではその模様を実況中継で全国のお茶の間へ届き、様子がしっかりとわかるのはこのマスコミの方々のおかげです。
しかし、現地住民にとってはそんなありがたいマスコミというわけではなかったようです。
町の宿という宿はすべてマスコミに予約され、遺族関係者が到着したときには付近に宿泊できる場所すらなかったのです。
また、マスコミときたら、この遺族を視聴率の虫とでも言いましょうか、悲しみに暮れる隙も与えずに、インタビューしまくり、遺族によってはカメラの視線を浴びっぱなしになったりと忍びない日々が続いたとのことです。
おかげで、遺族の方々は少し離れたところでようやく宿をとることができ、数日をすごすこととなりました。
幸いにもこの距離がマスコミから離される結果となりプライベートが確保された面は良かったようです。
そんな状況を現地住民の方から聞いたとき、思い出されたのが最近大地震に見舞われたネパールのことです。
連日ニュースでは報道レポーターが、「今日はまだ救援物資が届いてない地域へ初めてカメラが入りました」などと誇らしげにリポートしていますが、その様子をくまなくカメラに収め、生放送でお茶の間へ届けた後、彼らは視聴率の記録を楽しみに帰路へつくのでしょう。残された現地住民たちは救援をうけるどころか、何も助けてくれないマスコミに気を使いながら、過ごさねばならないのです。
テレビという便利な情報伝達の機器が発達した一方、その撮影現場では事故であれ災害であれスクープになるのならお祭り騒ぎのようにどこからでも駆けつけ、第3者としてガラスを隔てたところから報道している状況にギャップを覚えました。
そんな気持ちになったとき、木曽福島の風情のある街並みが気持ちを落ち着かせてくれました。
マスコミも知らない(ネタにもしない)裏事情でした。