日清食品創業者は日本人じゃなかった でもカップヌードルは人生の教科書
ここ数日ブログの更新がまた止まっていましたが、それもそのはず、旅に出ておりました。今回訪れたのは「横浜」。なじみが深い方も多いと思いますが、その旅での出来事を紹介します。
せっかく横浜に来たのだから普段行けないところへ行こう。
そう思ってまず訪れたところは日清食品プロデュースの「カップヌードルミュージアム」です。この施設は実際にカップラーメンを作ったり、体験もできるテーマパークなのです。しかし、中でも一番興味があったのは、世界初のインスタントラーメンを発明した安藤百福氏の記念館でもある点です。
これは知らない方が多いのではないかと思いますが、日清食品の創立者である安藤百福氏、実は日本人じゃなかったんですね。もともとは台湾人で帰化して日本人になったわけです。戦争を経験した世代、時代の流れとはいえ日本にとっては非常に優秀な人材が日本人になってくれたわけですからとてもラッキーなことです。また、これは百福氏にとっても幸いしており、当時台湾出身者は中華民国国籍か、日本国籍かを選ぶことができました。結果的に中華民国国籍を選んだために、戦後GHQが資金源確保のために、資産者から理由をつけてはお金を徴収していましたが、中華民国国籍者は免除されたため、資産剥奪を免れたのです。
さて、その百福氏は40歳を過ぎてから、有り合わせの調理器具だけで、1年かけてチキンラーメンを発明したのです。そして、彼の発明人生は我々の人生において非常に教訓となる点が多いのです。
チキンラーメンを発明するに至るまでの1年間、百福氏は1日たったの4時間という睡眠時間で研究に没頭したといわれています。さらに、何一つ特別な調理器具はなく、ごくごく一般家庭で入手できるものだけで発明したというのですからこれはすごいことなのです。
そして、62歳の時にカップヌードルを発明し、今の日清食品を発足、発展させていったわけです。今や全世界に知れ渡ることとなったカップヌードルはいろんなバックボーンを経て誕生したのです。
百福氏は聞くところでは常に周りには愛人の噂がありました。そんなわけで奥様は非常にそういう面では苦労されたようですが、実はそれがまた若さを保ち精力的に動けた秘訣ではないかと分析されています。最後は96歳で亡くなるわけですが、その前の日までいつものようにゴルフを楽しんだということで、本当にぽっくり逝ってしまったのです。
ある意味なんて幸せで素晴らしい人生を過ごしたのだろう、と感じてしまいます。
彼の人生は波乱万丈でありましたが、私はその生き方に非常に共感し、教科書のように感じています。
1.たったの1年本気で頑張り、カップラーメンを発明しました。
長い人生の中でちょっとそういう時間を作るだけでその後の人生大きく変わるのだと教訓になりました。
2.カップヌードルを発明したのが60歳を過ぎてから。定年と呼ばれる年齢を過ぎてからの発明で、彼の人生はそこからが本番だったように思います。
人間なにかをやるのに年齢は関係ないということです。また、年齢により人を判断してしまうのは大きな間違いだと思いました。
3.人生前向きに。
96歳で亡くなる寸前まで元気で暮らしていた健康は素晴らしいと思います。
これも強い精神力とストレスを溜めない前向きな生き方ができたからでしょう。
以上、人生における3つの大きな教訓を安藤百福氏から学べました。