アナログ24時

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「トワイライトエクスプレス」3月12日運行終了、「北斗星」も。お前もか、ブルトレ寝台特急時代の終焉

大阪ー札幌間を結ぶ寝台特急トワイライトエクスプレス」が雪の影響を受け、予定より16時間も遅れて大阪に到着したニュースが話題となっている。

一時は日本全国を走り回っていた寝台特急。しかし、今ではわずかに数路線を残すのみとなっている。

中でもブルートレイン時代の最高峰と言われてきた「トワイライトエクスプレス」が遂に引退ということで、寝台特急ファンの筆者からみると寂しい限りです。

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このダイヤ改正に伴い、上野ー札幌間を走る寝台特急北斗星」もまた引退を迎える。

こちらは第三セクター青い森鉄道」への乗り入れをしていたが、廃止ということで経営が大きな影響を受けるという。

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ブルートレイン最盛期

動くホテルと称されたブルートレインは昭和高度成長、国鉄の傑作ともいえる列車だと思っています。1980~90年代は特にこの寝台特急網が全国的にも充実し、全盛期でした。

筆者は山口県で育ったが、学生時代、アルバイトで朝の新聞配達のさなか、次々とブルートレインがその側を走り去っていった姿が今でも懐かしく、また東京からはるばる駆け抜けてきたその姿は何とも頼もしかった。

はやぶさ」「さくら」「富士」「みずほ」「あさかぜ1号・3号」は東京発着、鹿児島、長崎、宮崎、熊本、博多、下関の各地を一日一往復結んでいた長距離寝台列車でした。

京都、大阪発着九州各地にも「なは」「あかつき」など多くの寝台特急が走っていました。

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 在りし日の「あさかぜ号」

寝台特急あさかぜ」に夢馳せて

あのころは寝台特急待ちの鈍行列車も多々あったもので、主要な駅には毎朝次から次へと寝台特急が到着していました。

中でも記憶に残っているのは下関発の「あさかぜ号」です。

下関駅を毎日16時40分発、筆者のふるさと光駅が18時40分発で東京へは翌日朝7時半到着の旅でした。

今の若者世代は知らない人たちも多いでしょうが、2段ベッドの客車B寝台への乗車はいまでも忘れられません。大学受験の時はこの「あさかぜ号」に乗って東京まで出かけました。また、社会人になってからも何度も利用して帰省しました。

2段ベッドが向かいになっており、4人ワンブロックというような形でした。

そのため、毎回乗車の度に故郷へ戻られるいろんな方と出会い楽しく会話したものでした。

東京から乗車したときは目が覚めると朝日を浴びながら瀬戸内海沿線を走り郷里へのカウントダウンに胸を躍らせたほどでした。

 

2000年代に入り次々と廃止へ

2000年代に入り、高速鉄道網のより一層の充実で寝台特急ブルートレイン)は徐々に乗客が減少し、また、ラッシュ時間帯ではほかの通勤列車に影響がでるとのこともあり、廃止へと追い込まれていきました。

筆者の良く利用していた「あさかぜ号」は2005年で廃止、「はやぶさ」と「富士」、「さくら」と「みずほ」は同一編成にての運行へ変更、終着駅も徐々に変更されていきました。

そして、2009年には東京発着のブルートレインはすべて廃止となりました。

スピード化社会の中で徐々に時代遅れとなったブルートレイン、しかしそこには数々のドラマがあり、「旅」の楽しさを改めて感じさせてくれた列車でした。

 

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 東京駅発「富士・はやぶさ」最終列車

 

感動のさようなら放送の数々

この列車に乗ったことのある人なら思わず感動を覚えてしまうと思います。

数々のブルートレインに乗車されていたなじみ深い下関車掌区の車掌さんたち。

その想いがこもった最後の放送を是非お聞きください。

あさかぜ号下り終点下関到着前の最後の放送

 

富士・はやぶさ号下り下関到着前、涙ながらの最後の放送