アナログ24時

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阪神淡路大震災、鮮明な記憶、あの時私は何をしてたか

あの悲惨な阪神淡路大震災からもうすぐ20年。

早いものですね。

あの時あなたは何をしていましたか?

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     ↑私が一番ショックを受けた写真。

だれもがみんなその時その時という時を刻んでいますが、一日一日が記憶に残っている人言うのはそうそうないと思います。

でもこういう大きな事があった人言うのは不思議と自分が何をしていたのか鮮明に覚えているんですね。

 

あの日私はスキー場にいました。

生まれも育ちも雪がないところでしたが、なぜかスキー場へ。

そうです、修学旅行のスキー合宿の真っ最中だったのです。

前日は新幹線で神戸を通り名古屋経由で長野まで。

そしてあの日は起きてみるとニュースで何やらいつもと違う報道をしていました。

ホテルのテレビを食い入るように見たときはすでに朝7時ごろ、ヘリコプターから映し出される神戸の悲惨な街が目に入ってきました。

右下のテロップには死傷者何人の文字が。たしかあの時間で100人~200人の表示が出ていたと記憶しています。

 

午前中のスキー教室が終わり、お昼にホテルへ戻ったとき、死傷者の数は1000人以上に膨れ上がっていました。

災害らしい災害は目の当たりにしたことはありませんでしたが、生々しい報道をみてさすがに実感が沸きました。

そして、その夜には2000人以上の死傷者となっていたように記憶しています。

 

そういう日に限ってなんか特別だったりするわけです。

そうです。私の誕生日でもあったのです。

その日の夕食は誕生日ということで皆から雪で作ったケーキをプレゼントされました。

その夜は遅くまでテレビにくぎづけになり眠りにつきました。

 

数日後、遥か西日本まで帰らなければならない日、当然のごとく、神戸がダメで新幹線で帰れない状況となっていました。

地元からはるばる十数時間かけてバスで帰りました。

日本海側をずっと抜けて迂回して、郷里までたどり着きました。

 

そしてこの地震他人事ではないのがもう一つ、私のいとこ一家が東灘に住んでおり、家ごと全壊してしまったのです。

いとこの一人はショックでその後約1か月声が出なくなりました。(今は無事結婚して幸せな家庭を送っています)

もう一人のいとこはこれがきっかけで医者になりました。

 

沢山の命が奪われたあの忌々しい地震

でもあの短い時間の記憶はこんな遠くにいた私でも鮮明に覚えているのです。

あの出来事を忘れず、無くなられた6400名以上の方々のご冥福を祈りたいと思います。